織田信長と上杉謙信との歴史的一戦「手取川の戦い」について

織田信長と上杉謙信との歴史的一戦「手取川の戦い」について“手取川の戦い“は上杉謙信と織田信長家臣団との間で天正5年9月23日(1577年11月3日)に行われた戦いです。

今回はこの”手取川の戦い“について、どのような原因にて勃発し、そしてどのような戦闘が行われ、そしてどのように終結し後の情勢にはどのような影響があったのかについてお伝えします。

それでは、早速見ていきましょう。

 

織田信長と上杉謙信との歴史的一戦「手取川の戦い」について

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背景から勃発まで

天正4年(1576年)、越後一帯を支配していた上杉謙信は西方への足がかりとして能登を支配下に収めるために軍を南下させます。

一方で当時能登を支配していた畠山氏は当主が幼年であったため、その後見人の座を巡って家臣団が内紛状態にあり、その家臣団の内、最も有力であった長続連は当主をつれて七尾城に籠城します。

この城はたいへん堅牢であり、上杉軍は中々攻め落とすことが出来ずに苦戦を強いられます。その後上杉軍は関東にて勢力を有していた北条氏に対抗するため一旦軍を引き上げますが、その隙を突く形にて畠山軍に反撃を受け、幾つかの城を逆に攻め落とされてしまいます。

一方で七尾城内においては家臣団の内紛が再び発生します。長続連に敵対する家臣達は謙信に派兵を要請し、それを受け上杉軍は再び能登へ進軍します。

また、この頃、七尾城内にて疫病が流行し始めます。この病によって当時幼少であった畠山家当主も死没してしまい、城内はさらに混乱を極めていきます。

窮地に陥った長続連は織田信長に援助を要請します。当時信長は謙信を最大の脅威であると見なしていたためこの要請を快諾し、柴田勝家を筆頭に羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀ら重臣たちを能登へと派遣します。

これに驚いた七尾城の一部家臣は城内にて謀反を起こし長続連ら親信長派を殺害し、城は親上杉派の手に落ちることとなります。

 

戦闘の経過

七尾城の落城を知らない織田家臣軍は尚も進軍を続けますが、途中で柴田勝家と対立していた秀吉が勝手に撤兵をしまいます。これを知った信長は激怒し、秀吉を長浜に蟄居させます。

この対立の背景にあったのは当時の織田家家臣団において存在していた南進論、北進論の対立が背景にあったと言われています。秀吉の持論は南進論であり、中国地方の毛利氏を最も警戒せねばならないというものでした、一方で柴田勝家は北進論であり、越後の上杉氏を警戒するというものでした。

信長は命に背いた秀吉を叱責し、長浜での蟄居を命じますが、同時に秀吉に対し、謹慎期間を利用して中国地方に向けた軍備増強と情報収集をするようにも命じます。

一方で進軍を続ける勝家達にも大きな問題が存在しておりました。それは七尾城に関する情報が得られないというものです。

当時能登周辺の住民には一向宗門徒が多く、信長はこの一向宗と対立をしていた反面、謙信はこの少し前にすでに和睦を結んでいたため、勝家たちは進軍途中の住民から情報を入手することが出来なかったのです。

織田家臣軍は尚も進軍を続け、全軍が手取川を渡り終えた時点にて一時休息を取りますが、この間に上杉軍は松任城に入り軍を整え、休息中の織田家臣軍に対し夜襲を仕掛けます。これにより織田家臣軍は瞬く間に壊滅、さらに増水していた手取川に軍の一部が飲み込まれ大量の溺死者を出してしまいます。

しかし一方で上杉軍にも増水した手取川を越え織田家臣軍を追うだけの余力も残っておりませんでした。

さらに厳しい北陸の冬の足音が迫ってきているということもあり、さらに能登全域の軍事的平定をおおよそ完了したということから、一旦本拠地である越後まで撤退し、そこで年越しをすることとなります。

 

その後の政情への影響

謙信は春になり次第再び能登に派兵し、そのまま近畿地方へと進軍する予定であったようですが、翌年の春先に脳出血により急死してしまいます。

一方で織田方は上杉軍の強大さを目の当たりにし、また同時期に備前にて家臣団にいた松永久秀が謀反を起こしたためこれを鎮圧せねばならなくなり、一旦北方への勢力拡大を保留することを決定します。

その後上杉家では謙信が死没したことにより内部が混乱し、その後継者争いから内乱が勃発、その隙を突く形にて織田軍は一向宗を攻め立てた上でこれと和睦を結び、当時上杉方の影響力の強かった富山近辺まで進軍します。

織田軍は満を持して越中全域を掌握しようとするのですが、”本能寺の変”が発生し信長が死亡してしまったためこれが果たされることはありませんでした。

 

まとめ

豊臣秀吉が天下統一を成功させたキッカケ「長久手の戦い」とは

 

・背景から勃発まで

・戦闘の経過

・その後の政情への影響

いかがでしたか?

この戦いは戦闘自体は上杉謙信軍の圧勝に終わったものの、その後の経過においては上杉、織田両方にとって不本意な結果となってしまいました。

また、この”手取川の戦い”に関してはその戦闘の規模や、そもそも戦闘の有無に関して未だに諸説入り乱れ、議論が続いている状態でもあります。もし興味がお有りになるようでしたら、それらに関しても調べてみてはいかがでしょうか。


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