フランスの歴史を分かりやすく解説!知っておくべき14の真実

フランスの歴史を分かりやすく解説!知っておくべき14の真実非常に豊かな伝統と文化を持った国として知られているフランスですが、その歴史の流れについてはどれだけの方がご存知であるでしょうか。

というわけで今回は、フランスの歴史で知っておくべきことを分かりやすく、そして詳しく解説していきます。

 

フランスの歴史を分かりやすく解説!知っておくべき14の真実

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諸民族の流入と乱立

現在「フランス」と呼ばれている地域に最初に定住したのは現在のところクロマニョン人という集団であったとされています。クロマニョン人は生物学的には現生人類と同種であり、マンモスの牙やトナカイの角で作られた工芸品やラスコー洞窟の壁画などが現在にも遺されています。

クロマニョン人はマンモスなど大型動物絶滅とともに滅んでいったとされていますが、その数千年後にはイベリア人と呼ばれる民族が青銅器で作られた農具や武器を使い始めての文明を作り上げていきました。

しかし、やがてそこへケルト人と呼ばれる騎馬遊牧民族が流入し始めます。鉄器を使用していたケルト人たちはイベリア人達を征服し、やがて遊牧を止めフランス地域に定住をするようになります。

ケルト人はイベリア人達を吸収し、ここに新しい民族が出来上がりました。これをガリア人(ゴール人)と言います。ガリア人たちはこの地にてブドウの栽培を開始し、ワインなども作られるようになりました。

 

ローマによる征服とキリスト教の伝道

ガリア人の文明は発展を続け、紀元前4〜3世紀ころにはローマ帝国をも脅かす存在となっていきます。ガリアの将軍ブレンヌスは紀元前390年にローマ軍を打ち破り一時ローマを占領までしました。

しかし、しばらくすると独裁官マルクス・フリウス・カミルスによってローマからガリア人は追放され、次第に形成は逆転し始めます。紀元前58年にはガイウス・ユリウス・カエサルが逆にガリアへと侵攻し、これを征服、ガリアはローマの支配下へと入ることとなります。

ローマはガリアの反逆者達を次々に攻め立て、処刑していきましたが、一方でガリア人たちの中からはローマの進んだ文明から学ぼうとする者達も現れました。

こうしてガリアの土地にはローマ風の都市が作られるようになり、農業も以前にも増して盛んになったことから、ガリアは属国でありながらイタリアのローマ本国を凌ぐ豊かさを手に入れていきます。

やがてローマ本国にてキリスト教が盛んになるにつれ、ガリアにも2世紀頃キリスト教が伝えられていきます。ローマ本国でもそうであったようにガリアのキリスト教徒たちも迫害を受け、時には虐殺の対象ともなりましたが、やがてその信仰は公にも認められていきます。

 

フランク王国の誕生

やがてローマ帝国の影響力が衰え始めるとともに、帝国の内部ではゲルマン人達の存在感が増していくようになります。

ゲルマン人たちはガリア地域にも移住するようになります。しかし4世紀頃東北アジア出身のフン族がヨーロッパへと侵入してくるようになると、ゲルマン人たちはより西方へと移動を始めるようになります。ガリアのゲルマン人たちは移住をしつつもフン族と戦うようになり、ローマ帝国内にて大きな力を持つようになります。

ガリア人たちはローマ本国に対して反感を抱いている者が多く、こうした一連の流れの中でゲルマン人とともに新たな国を作ろうとするようになって行きます。

5世紀には東西に分裂したローマ帝国の内西ローマ帝国が滅亡し、フランスを含めた西ローマ帝国圏内には多くの小王国が乱立するようになります。そんな中ゲルマン人のクローヴィスは諸国を統一し、481年にフランク王国を作り上げます。

フランク王国はその後イタリア北部からドイツ、ベルギーまでを領土とする大王国となっていき、フランスにはゴール人、フランク人、ローマ人などが共存するようになり、キリスト教の影響のもと文化的にも統合がなされていきます。

 

イスラムとの戦争

フランク王国が大きな力を持ち、ローマ教皇によって正式に西ローマ帝国の後継者として認められるようになった頃、ピレネー山脈を挟んだスペイン地域ではイスラム文化が盛んになっていました。

8世紀頃になるとイスラム教の指導者カリフはこの山脈を超え、フランク王国へと侵攻を始めます。フランク王国の重装騎兵隊はこれを迎え撃ち勝利し、今度は逆にイスラムを攻め立てるようになります。

やがて10世紀にはキリスト教圏とイスラム教圏の戦いは大規模なものへとなって行き、東ローマ帝国は十字軍による遠征を開始、当時フランク王国の跡を継いだカペー朝(フランク王国)もこれに協力し軍勢を派遣し、一時はエルサレムを陥落させましたがやがて形成は逆転し、十字軍遠征は第4回にて取り止めとなりました。

こうした戦いの中、一方では次第にキリスト教とイスラム教は互いに双方の文化を吸収し始めるようになります。フランスへも当時世界最先端であったイスラムの建築技術や科学などが少しずつもたらされるようになっていきます。

 

百年戦争と黒死病

イスラムとの戦いが終わり、その失敗によりローマ教皇の権威が失墜した13世紀から14世紀にかけて、フランス王国は政治的に大きく混乱していきます。

まずカペー朝はローマ教皇と対立するものの跡取りがいなかったことから断絶しヴァロワ朝を引き継がれることとなります。ところがこれに対しカペー朝の流れを組むイングランド王国が反発し、これが元で百年戦争が起こります。イングランド王国は一時パリをも陥落させるものの、やがて有名なジャンヌ・ダルクらの活躍により形勢は逆転し15世紀に最終的にはフランス王国が勝利を収めます。

一方この頃、ヨーロッパ全土では黒死病(ペスト)の流行が起こりました。黒死病はヨーロッパの全人口の4分の1を死に至らしめ、フランスにも多大なる被害が発生します。この黒死病と百年戦争による財政問題と兵士への賃金の未払いによる暴徒化により、フランス社会は大きく混乱をしていきます。

 

農民の蜂起

この13世紀から14世紀にかけて、農民の暮らしは封建制度の下、非常に貧しいものとなっていました。このような中において農民は次第に団結をするようになり領主である貴族に対して租税負担減など、さまざまな要求をするようになって行きます。一方で領主もさまざまな圧力を農民たちにかけていきました。

そんな中で百年戦争や黒死病の影響により、農民の生活がかなり圧迫された14世紀にはフランス全土で農民による蜂起が相次ぎました。

この蜂起と百年戦争による混乱の中、ついにヴァロワ朝は平民を参加させる形での三部会という議会の開設を行うこととなります。

 

絶対王政の成立

百年戦争に勝利したヴァロワ朝は、勢力拡大を図りイタリアやオスマン帝国との戦争を開始します。

ところがこれは国内的にはさらなる混乱を招き、ドイツやスイスにて盛んになっていた宗教改革の影響もあり国内におけるカトリック・プロテスタント両派の対立が激化、16世紀の後半にはユグノー戦争という内戦が勃発します。この内戦の中でヴァロワ朝は滅び、プロテスタント派であった貴族のアンリ4世が王として即位、ブルボン王朝が開始されます。

初期のブルボン王朝においてはフロンドの乱と呼ばれる民衆や貴族の反乱が相次ぎましたがアンリ4世の孫であるルイ14世はこれを鎮圧し強大な権力を持つようになります。これによって国王が絶対的な権力を持つ絶対王政の時代が到来します。

 
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高まる政治批判とフランス革命

国王が強大な権力を有する絶対王政が成立した後、17世紀から18世紀にかけては、印刷技術などマスメディアなどの発達によりさまざまな哲学や科学が発達していきます。こうした中で当時重税に苦しんでいた民衆の中には特権階級である国王や貴族などを批判する思想が生まれていきました。当然王権はこれを弾圧しましたが、それでもこの流れが止まることはありませんでした。

やがてこうした絶対王政への不満は留まることを知らなくなり、1789年には当時政治犯を収容し、また大量の武器を保持していたバスティーユ牢獄への襲撃に端を発するフランス革命が勃発。当時の国王ルイ16世は国民議会の開設を認め、世論を沈静化させようとしつつ「万人の自由と平等」を規定した人権宣言へのサインを拒み続けました。

これに怒った国民たちは国王の宮殿のあるベルサイユまで行進し、ルイ16世に人権宣言へ署名を迫り、その後国王を幽閉した後処刑しました。

 

帝政、王政の復権と民衆運動

しかしこの後国民議会は安定すること無く、最終的にナポレオン・ボナパルトがクーデターによって独裁権を掌握、イギリスやロシアなどに遠征の軍を派遣しますが敗北し、ナポレオンの失脚後にはルイ16世の弟であるルイ18世がブルボン王朝を復活させます。ルイ18世の死去後、後継者となったシャルル10世は国民世論の反発を逸らすために1830年アルジェリアへと出兵、この地を占領し植民地とします。

しかし自由を求める国民の意志は留まることを知らず、1830年7月にはパリで武装蜂起が起こり、これにより国王が自由主義者であるルイ・フィリップへと交代させられる。ところが当時のフランスにおいては一定の所得以上の者しか選挙権を有しておらず、これに国民の不満が爆発し1848年には再び武装蜂起が発生。ルイ・フィリップは国外亡命を余儀なくされます。

しかしこの武装蜂起は市民の中でもブルジョアジーとそれ以外の層との間の分断を発生させました。ブルジョアジーは社会主義革命への懸念を表明し、その結果1851年の選挙においてはナポレオンの孫であるナポレオン三世が皇帝に即位することが決定します。

 

普仏戦争とパリ・コミューン

皇帝に即位したナポレオン三世は1870年に現在のドイツであるプロシアと普仏戦争を開始。しかしロシアの援助も受けたプロシア軍は手強く、同年の9月にはナポレオン三世自身も遠征先で捕虜となってしまいます。

こうした中でフランス国内においては労働運動が活発になり、ナポレオン三世の権威失墜もありパリにて大規模な武装蜂起が発生します。これにより議会は帝政の永久の廃止を宣言し、フランスは共和国となります。

一方その頃ナポレオン三世の軍を破ったプロシア軍はパリへと侵攻を開始していました。これに対してフランス市民は自ら武器を手に取りプロシア軍に応戦します。しかしプロシア軍の軍勢はこれを破り、フランス政府は敗北を認め休戦条約に署名します。

フランス国内の地主や資本家はプロシアとの協調を望み、それに応じた政府はベルサイユへと移りパリを占拠しようとしますが、それに反発するパリ市民は武装蜂起し政府軍を取り囲み、パリには労働者を主体とするコミューン政府が誕生します。しかしこのコミューン政府はベルサイユ政府やプロシア軍によって鎮圧されてしまいます。

 

第一次世界大戦

普仏戦争によって敗北したフランスでしたが、それにより国内においてドイツに対する反発が高まりつつありました。そんな中1917年、セルビアにてオーストリア皇太子が暗殺されたことからオーストラリアはセルビアに宣戦布告します。

オーストラリアに強い影響力を持っていたプロシアとセルビアの同盟国であったフランスも交戦状態に突入し、さらにヨーロッパ各国も次々に参戦を表明し第一次世界大戦が勃発します。

これにフランスは勝利し、ベルサイユ条約によってプロシアを解体し高額の賠償金の支払いを確約させます。

 

ナチス占領とレジスタンス

このベルサイユ条約の内容はドイツに多大なる社会不安をもたらし、それは結果的にナチスによる独裁制へと繋がっていきました。ナチス・ドイツはポーランドへの進撃を開始し、それによって第二次世界大戦が勃発します。

ドイツ軍はベルギーを制圧するとそこから北フランスへと侵入し、一ヶ月後にはパリを制圧します。ナチスはフランス政府を解体させるとビシーという町に傀儡政府を置きました。

しかしその一方で、フランス人たちはナチス・ドイツに対するレジスタンスを開始します。

旧フランス軍のドゴール将軍の呼びかけに応じたレジスタンスはブルジョア層から共産主義者までを巻き込み大きなうねりとなり各地でドイツ軍を襲撃、これに対処するため兵力を割いたドイツ軍はノルマンディー戦において敗北し、1944年には4年ぶりにパリは解放されることとなりました。

 

植民地の反乱

ドイツ敗戦後、フランスでは対独協力者の多くが粛清され、新たな政府が発足します。ところがその後、アルジェリアを中心とするアラブ圏北アフリカのフランス植民地において貧しい生活を強いられていた民衆による反乱が発生、同時にアジアにおけるフランスの植民地であったベトナムなどでも独立戦争が勃発します。

フランス軍はその弾圧に当たりますが、それに対して国際的な高まっていきます。

結局自体を収拾するため、当時大統領であったド・ゴールは国民投票の実施を確約し、その結果アルジェリアは独立、その他多くの植民地も独立を宣言し、フランスは植民地を失うこととなりました。

 

ド・ゴール政権と独自路線

それ以後、フランスは冷戦構造下においてフランスは西側陣営でありながらも、ド・ゴール政権の下、フランスは核実験に成功し核保有国となり、EC(現在のEU)を発足させ、さらにイラク戦争においては派兵を拒むなど独自路線を採り続けています。

 

まとめ

フランスの歴史を分かりやすく解説!知っておくべき14の真実

 

・諸民族の流入と乱立

・ローマによる征服とキリスト教の伝道

・フランク王国の誕生

・イスラムとの戦争

・百年戦争と黒死病

・農民の蜂起

・絶対王政の成立

・高まる政治批判とフランス革命

・帝政、王政の復権と民衆運動

・普仏戦争とパリ・コミューン

・第一次世界大戦

・ナチス占領とレジスタンス

・植民地の反乱

・ド・ゴール政権と独自路線

 

いかがでしたか?今回紹介したのは非常におおまかな歴史の流れとなります。

もしこれをきっかけに興味を持たれた方がいましたら、ぜひご自身でより深く探究をしてみることをオススメいたします。


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